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東洲斎写楽「三世市川高麗蔵の志賀文七」木版画
額縁外寸45.0x56.5 厚さ2.0cm
内寸39.4x50.9cm(大衣)
絵35.0x37.0cm
[m-652]
定価¥27500
東洲斎写楽(とぅしゅうさい しゃらく)
製没年不詳
日本・江戸/江戸時代中期・浮世絵
謎の天才浮世絵師
生涯・経歴:寛政6年(1794年)突如として浮世絵界に現れ、
約10ケ月の期間内に約145点あまりの浮世絵を発表し、
忽然と姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる写楽。
生没年、出身地、師弟関係なども不明であり、また、彼を取り巻く謎として
①一般的には浮世絵師は版本等の挿絵を担当してから、1枚絵を手掛けるのに対し、
写楽は大版錦絵28図という大作であったこと
②写楽の作品のすべてが版元蔦屋重三郎による独占販売であったこと
③寛政6年~7年という短い活動期間はなぜかという3点がさらに謎を深めています。
ドイツの美術研究家ユリウス・クルトがレンブラント、ベラスケスと並ぶ
世界三大肖像画家と紹介したことがきっかけで、大正時代頃から逆輸入する形で
日本でもその評価が高まりました。
作風・モチーフ:役者の表情や顔などを独特のデフォルメによって描き、
内面までもを露呈させるかのような強烈なインパクトのある作品群が特徴です。
短い製作期間でしたが、スタイルによって4つの期間に区切ることができます。
第1期 寛政6年5月。「大谷鬼次の江戸兵衛」に代表されるような大判者大首絵図を
手掛けた時期で、写楽の評価が最も高い
第2期 寛政6年7月。大判・細判役者全身像として、役者の容貌の誇張を抑えて
全身の表現により場面の雰囲気をつくりだしている
第3期 細判役者全身像・間判役者大首絵・相撲絵 第4期 細判役者全身像・
相撲絵・追善絵・武者絵等
評価と影響:当時写楽は賛否両論あったようで、厳しい評価としては、
モデルを欠点さえも美化せずに誇張したり、役者の内面を生々しく描き出している
として酷評しています。しかし、写楽の作品によって大首絵の位置は高まり、
役者絵の作画、販売量の増加を導いたと考えられており、後世に与えた影響も
多大であるといえ、今日でも日本を代表する浮世絵師として世界中で輝きを放っています。
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寛政6年5月、桐座上演の「敵対乗合話」の内の敵役の志賀大七を描いた作品です。
この絵は色彩でも構図でも実に単純な絵ですが、それだけに印象的で感銘に
力強いものが感じられます。焦点はその顔。
長い顔に高い鼻、しゃくられた長い顎、紅の眼隅に彩られた、ぐっと睨みを
きかせたくぼんだ眼の光、三世高麗蔵の特異な顔が目前に迫ってくる思いがします。
さらに効果をだしているのが内懐から出して、刀の柄頭を握ったポーズ。
黒の着付けがさらにこの絵に雰囲気を盛り上げています。
そしてこの単純な色彩に、着物の裏の濃い茶色とほんのわずかにのぞいた
襦袢の赤が加わることで、高麗蔵という役者のもつ色気を表現しています。
そこに写楽の役者描写の極致があるのです。
三代目市川高麗蔵は、四代目の実子で安永元年九歳のとき高麗蔵という名になりました。
天明三年に立役に、寛政十年に実悪となり、享和元年に五世幸四郎を襲名しました。
眼はくぼみ、瞳は小さく凄みがあり、鼻の高いのが特徴で俗に「鼻高幸四郎」と
呼ばれました。
若い時はやつし方でしたが、実悪に転じてからは名声を高めました。
芸風は繊巧で豪放、しかも写実的。
一世の名優として天保九年五月、七十五歳で没しました。
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