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藤田不美夫「水辺の白樺」 木版画 64/200 額縁外寸44.3x56.3x2.5㎝ 内寸サイズ42.5x54.5㎝ 絵26.2x36.0㎝ [m-621]
¥22,000
藤田不美夫「水辺の白樺」 木版画 64/200 額縁外寸44.3x56.3x2.5㎝ 内寸サイズ42.5x54.5㎝ 絵26.2x36.0㎝ [m-621] ¥33000 【藤田不美夫 画歴】 1993 愛知県半田市に生まれる 1956 武蔵野美術大学油絵科卒業 1956 武蔵野美術大学油絵科卒業 1963 木版画制作を始め、日本版画協会展等に出品 武者小路実篤著「人生論シリーズ」や 荻原井泉著「芭蕉鑑賞」等の表紙、装丁 1965 「鳥」「化石」「仮面」などの木版画シリーズを発表 1970 白樺などの林をモチーフにした連作「樹林」を発表 1980 武蔵野美術大学木版画グループ展に参加、巡回 1987 小田急カルチャースクール木版画部門の専任講師 1990 ギャラリー光彩にてデッサン、木版画の個展 1996~99 伊勢丹(松戸)、日本橋丸善、新宿三越などの画廊・ギャラリーにて個展 2000 CWAJ現代版画展
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井上公三 額装品 シルクスクリーン 額縁外寸77.0x59.0x2.0㎝ 内寸72.7x54.5㎝全紙 絵 54.5x34.0㎝ [m-610]
¥28,800
井上公三 額装品 シルクスクリーン 額縁外寸77.0x59.0x2.0㎝ 内寸72.7x54.5㎝全紙 絵 54.5x34.0㎝ [m-610] ¥44000 井上公三は、シルクスクリーンのグラデーション技法の開発により、絵画の新しい地平を開拓。 無限の空間の中に浮かび上がる明快なフォルム、その奥行のある色彩の濃淡は、観る者の心の安らぎと静寂をもたらす。 「KOZO」として、60年代よりパリに拠点を置き、世界各国にて個展を行うとともに、壁画などの多くのパブリックアートを制作。 プロフィール 1937年大阪府生まれ 1960年慶応大学美学美術史科卒業 フランスに渡りアカデミードゥラグランドショミエールで学ぶ 以後、今日までパリに滞在 近年は、冬は、南伊豆 夏は南仏ドルドーニュ地方及びパリで制作している 1968年以後、世界の多数の都市で個展を行うとともに壁画を中心に環境美術の世界においても活躍している
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小田切訓 (おだぎりさとし)「白い函館」 リトグラフ 額縁外寸 72.5x65.0x2.0㎝ 内寸 67.0x59.5㎝ (新F10) 絵 52.0x40.5cm [m-666]
¥84,800
小田切訓(おだぎりさとし) 「白い函館」 リトグラフ 額縁外寸 72.5x65.0x2.0㎝ 内寸 67.0x59.5㎝ (新F10) 絵 52.0x40.5cm [m-666] ¥121000 小田切訓(おだぎりさとし) 1943年 北海道雄武町生まれ 札幌旭丘高校第1回卒業/明治大学卒業 1975年 ブロードウェイ新人賞入選/一選美術展 入選 1976年 ブロードウェイ新人展特別賞/新鋭選抜展(3回) 1977年 東京にて個展?示現会 入選(以後連続)/東光海展 入選 1979年 現代洋画精鋭選抜展 銅賞/日展 入選 1980年 示現会 佳作賞受賞/示現会 地方選抜?日展 入賞 1982年 示現会 奨励賞受賞 1983年 示現会 奨励賞受賞/日展 入選 1984年 示現会 奨励賞受賞 1986年 現代洋画精鋭選抜記念大展銅賞受賞 1988年 日展 入選 1989年 日展 入選 1990年 示現会安田火災美術財団奨励賞受賞 元示現会委員 1991~2000年 日展 入選 2014年 無所属へ 2015年 紺綬褒章受章 2021年 逝去 小田切先生の精錬された シャープな線描きは 大きな特徴で、その描線が独特の透明感のある色彩と共に、モダンな小田切作品を 作りあげています。 更に、光を感じさせる表現も巧みで、樹木の表現においては 独特のリアリティを表現し、小田切グリーンの愛称が付くほどです。 久しく 多くの人々に小田切先生の作品が 素直に受け入れられている所以です。 日本を代表する洋画家と いえるでしょう。
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斉藤善貴「くも」 リトグラフ 5/50 額縁外寸47.3x58.8x2.5㎝ 内寸サイズ39.5x51.2㎝ 絵29.0x39..0㎝ [m-622]
¥29,800
斉藤善貴「くも」 リトグラフ 5/50 額縁外寸47.3x58.8x2.5㎝ 内寸サイズ39.5x51.2㎝ 絵29.0x39..0㎝ [m-622] ¥44000 斉藤善貴 略歴 1954年 神奈川県生まれ 1978年 多摩美術大学日本画科卒業(堀文子教室) 春季創画展入選(以後十数回入選) 創造美術展入選(ナムラ賞受賞) 1979年 日本画大賞展入選 1992年 亜細亜現代美術展入選 以後、東京・千葉・北海道などで個展多数開催 全国各地でグループ展多数参加 男女問わず「自由気ままで気分屋のネコ好き!」という人は少なくありません。 すでに猫を飼っている、または将来的に猫を飼いたいと夢見ている猫好きさんにとって、恋人 や結婚相手を探す上で、相手がネコ好きかどうかというのはかなり重要なポイントといえます。
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葛飾北斎 「詩歌写真鏡・融大臣」 (しいかしゃしんきょう・とおるのおとど) 木版画 額縁外寸 38.0x73.0x3.0㎝ 内寸 35.0x70.0㎝ 絵 22.0x48.5cm [m-668]
¥29,800
葛飾北斎 「詩歌写真鏡・融大臣」 (しいかしゃしんきょう・とおるのおとど) 木版画 額縁外寸 38.0x73.0x3.0㎝ 内寸 35.0x70.0㎝ 絵 22.0x48.5cm [m-668] ¥44000 江戸時代末期の浮世絵師、葛飾北斎(寛政9年・1798年~文久元年・1861年)の 「詩歌写真鏡・融大臣」(しいかしゃしんきょう・とおるのおとど)です。 世阿弥元清作の謡曲「融」から取材した。 諸国をまわる僧(ワキ)が都に上り六条河原の院で古をしのんでいると担桶を荷った尉(前ジテ)が現れるので、このあたりのお人かと問うと近所の汐汲みだと答える。 海も遠いのに汐汲みとはと疑えば、翁はその昔融の大臣が、汐を引き入れて千賀の塩竃を偲ぶ楽しみをしたという故事を語るうちに、汐曇りに紛れ姿を消す。 僧がそのあたりの人に様子を聴き、まどろんでいると、融大臣(後ジテ)が名月に船を浮かべた昔の様を見せて舞を奏する。 つまり融大臣の亡霊があらわれる。 その一節に、「・・・我、塩 の浦に心を寄せ、あの籬が島の松陰に、明日に船を浮かめ、月宮殿の白衣の袖も、三五夜中の新月の色、千重ふるや、雪を廻らす雲の袖・・・」 この故事は「伊勢物語」の八十一段や「古今集」巻十六の紀貫之の歌に出るところで、謡曲「融」の主典ともなっている。 この絵は新月があらわれ、塩釜をかたどった広い庭に出て、塩焼く苫屋や漁船を配し、その様を娯しんだ風流人融大臣の面影を描いたものである。 そしてこれは現実の世界というよりも幻の中に見るもの静かな姿であるので、樹梢に宿って眠る鳥の姿にもそれがうかがわれ、平安貴族の雅びたさまが、ここに彷彿として浮かんでくる。 ここでは舟をうかべてというのではなく、水に突出た州か土坡に変えているが、落ち着いた謡曲の感覚をそのまま絵画化している北斎の芸術によせる多面性をここにあらわしているといえまいか。 これはまた北斎がかって学んだ大和絵の構想を蘇らせて縦長の景の中に、華美というよりも渋い色調でまとめあげ、それを横長な画面でなく長大縦版に仕組んだ ところに北斎の独創力の豊かなものがある。
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葛飾北斎 「詩歌写真鏡・春道のつらき」 (しいかしゃしんきょう・はるみちのつらき) 木版画 額縁外寸 38.0x73.0x3.0㎝ 内寸 35.0x70.0㎝ 絵 22.0x48.5cm [m-669]
¥29,800
葛飾北斎 「詩歌写真鏡・春道のつらき」 (しいかしゃしんきょう・はるみちのつらき) 木版画 額縁外寸 38.0x73.0x3.0㎝ 内寸 35.0x70.0㎝ 絵 22.0x48.5cm [m-669] ¥44000 春道のつらき 春道列樹は正六位下で文章生であったが、延期喜十四年(九一四)八月という「古今集」成立以前に活躍した歌人であったようである。 「古今集」に三首、「後撰集」(天暦五年九五一)にニ首があるほかは、他に家集もなく余り有名をはせたとは思えない。 そしてこのシリーズにとり上げられたのは北斎が「古今集」の中から選んだものとしか考えられない。 「古今集」巻五、秋下に「志賀の山ごえにてよめる」という歌に(百人一首) 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり とあるのの絵画化であろう。 晩秋志賀(滋賀県滋賀郡)の山越えにあたっても写実的実感を歌としたものと考えられる。 ただ、北斎はこの志賀の地に足をふみいれたことはないはずであるから、その歌意からのみ作図したことは否めない。 ただ鈴鹿を越えてゆくためには山は高い、また渓流は清くはげしい。 そうした聞き覚えが北斎の頭脳に閃いて渓流の藍の色を深め、迫る山肌を荒々しくしている。 岩をかむ流れの飛沫を白く崖岩と遠山との色の対比、そこに聚落の群れと旅人たちの姿を小さく描き出している。 古典文学への回想として、主要人物の列樹と供のニ人が流れを横ぎる橋上で、展開する光景を眺めるという構図を作っているが、このシリーズ中、もっとも複雑な画面構成を試みたものと思われ、流れを大きく彎曲さて遠景につなげる技法はさすがである。 ただ王朝風俗と聚落との時代考証の隔たりには多少の難はあるが、想像として歌意のみを迫った結果、この点は許されてよいと考えられる。 とにかく日本文学の要素をかかる今様に解釈して、絵画化した北斎の偉業はまことに見事である。
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東洲斎写楽「三世大谷鬼次奴江戸兵衛」木版画 額縁外寸45.0x56.5 厚さ2.0cm 内寸39.4x50.9cm(大衣)絵35.0x37.0cm [m-651]
¥19,800
東洲斎写楽「三世大谷鬼次奴江戸兵衛」木版画 額縁外寸45.0x56.5 厚さ2.0cm 内寸39.4x50.9cm(大衣) 絵35.0x37.0cm [m-651] 定価¥27500 東洲斎写楽(とぅしゅうさい しゃらく) 製没年不詳 日本・江戸/江戸時代中期・浮世絵 謎の天才浮世絵師 生涯・経歴:寛政6年(1794年)突如として浮世絵界に現れ、 約10ケ月の期間内に約145点あまりの浮世絵を発表し、 忽然と姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる写楽。 生没年、出身地、師弟関係なども不明であり、また、彼を取り巻く謎として ①一般的には浮世絵師は版本等の挿絵を担当してから、1枚絵を手掛けるのに対し、 写楽は大版錦絵28図という大作であったこと ②写楽の作品のすべてが版元蔦屋重三郎による独占販売であったこと ③寛政6年~7年という短い活動期間はなぜかという3点がさらに謎を深めています。 ドイツの美術研究家ユリウス・クルトがレンブラント、ベラスケスと並ぶ 世界三大肖像画家と紹介したことがきっかけで、大正時代頃から逆輸入する形で日本でもその評価が高まりました。 作風・モチーフ:役者の表情や顔などを独特のデフォルメによって描き、 内面までもを露呈させるかのような強烈なインパクトのある作品群が特徴です。 短い製作期間でしたが、スタイルによって4つの期間に区切ることができます。 第1期 寛政6年5月。「大谷鬼次の江戸兵衛」に代表されるような大判者大首絵図を 手掛けた時期で、写楽の評価が最も高い 第2期 寛政6年7月。大判・細判役者全身像として、役者の容貌の誇張を抑えて 全身の表現により場面の雰囲気をつくりだしている 第3期 細判役者全身像・間判役者大首絵・相撲絵 第4期 細判役者全身像・ 相撲絵・追善絵・武者絵等 評価と影響:当時写楽は賛否両論あったようで、厳しい評価としては、 モデルを欠点さえも美化せずに誇張したり、役者の内面を生々しく 描き出しているとして酷評しています。 しかし、写楽の作品によって大首絵の位置は高まり、役者絵の作画、 販売量の増加を導いたと考えられており、後世に与えた影響も多大であるといえ、 今日でも日本を代表する浮世絵師として世界中で輝きを放っています。 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx 三世大谷鬼次の奴江戸兵衛 この絵は写楽作品でとても有名な一枚です。 寛政6年5月、河原崎座上演の「恋女房染分手綱」に登場し、 悪人鷲塚八平次の手下の役を描いた作品です。 悪人の一味であり、この絵を一見しただけで、敵役大谷鬼次のマスクに、 このポーズにも敵役そのものの凄みが表れています。 無理にも引き歪められて一文字に結ばれた口、角型の紅隈で限られた二つの陰惨な眼、 パッと広げた両手の表情には、見る人を引き込む迫力があります。 悪方の一瞬が、これほど緊迫感をもって描かれている絵はそうそうありません。 この緊迫感は、突き出した顔面を大きく描き、そこに重点が置かれているので、 迫る力に圧倒されます。 両手の描写はいささか不自然ですが、それはむしろひとつの雰囲気として必要である だけで、さして問題ではなく、むしろこの絵をより印象に残るものとさせています。 また、この絵を傑作にしているひとつの要因は、その色彩にあります。 大敵でない、それでいて憎らしい、という端敵役であるために、 その衣装はかえって安物で派手であるのは歌舞伎の常道で、 その役柄の色がここにとてもでています。 紅殻色の地に黄の縞も派手なら、襦袢の紅、着物の裏の濃緑も派手。 この派手さが不気味なマスクをさらに憎らしく見せている。 写楽の芸術をダイレクトに知るにはとてもいい作品ではないでしょうか。
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東洲斎写楽「三世市川高麗蔵の志賀文七」木版画 額縁外寸45.0x56.5 厚さ2.0cm 内寸39.4x50.9cm(大衣)絵35.0x37.0cm [m-652]
¥19,800
東洲斎写楽「三世市川高麗蔵の志賀文七」木版画 額縁外寸45.0x56.5 厚さ2.0cm 内寸39.4x50.9cm(大衣) 絵35.0x37.0cm [m-652] 定価¥27500 東洲斎写楽(とぅしゅうさい しゃらく) 製没年不詳 日本・江戸/江戸時代中期・浮世絵 謎の天才浮世絵師 生涯・経歴:寛政6年(1794年)突如として浮世絵界に現れ、 約10ケ月の期間内に約145点あまりの浮世絵を発表し、 忽然と姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる写楽。 生没年、出身地、師弟関係なども不明であり、また、彼を取り巻く謎として ①一般的には浮世絵師は版本等の挿絵を担当してから、1枚絵を手掛けるのに対し、 写楽は大版錦絵28図という大作であったこと ②写楽の作品のすべてが版元蔦屋重三郎による独占販売であったこと ③寛政6年~7年という短い活動期間はなぜかという3点がさらに謎を深めています。 ドイツの美術研究家ユリウス・クルトがレンブラント、ベラスケスと並ぶ 世界三大肖像画家と紹介したことがきっかけで、大正時代頃から逆輸入する形で 日本でもその評価が高まりました。 作風・モチーフ:役者の表情や顔などを独特のデフォルメによって描き、 内面までもを露呈させるかのような強烈なインパクトのある作品群が特徴です。 短い製作期間でしたが、スタイルによって4つの期間に区切ることができます。 第1期 寛政6年5月。「大谷鬼次の江戸兵衛」に代表されるような大判者大首絵図を 手掛けた時期で、写楽の評価が最も高い 第2期 寛政6年7月。大判・細判役者全身像として、役者の容貌の誇張を抑えて 全身の表現により場面の雰囲気をつくりだしている 第3期 細判役者全身像・間判役者大首絵・相撲絵 第4期 細判役者全身像・ 相撲絵・追善絵・武者絵等 評価と影響:当時写楽は賛否両論あったようで、厳しい評価としては、 モデルを欠点さえも美化せずに誇張したり、役者の内面を生々しく描き出している として酷評しています。しかし、写楽の作品によって大首絵の位置は高まり、 役者絵の作画、販売量の増加を導いたと考えられており、後世に与えた影響も 多大であるといえ、今日でも日本を代表する浮世絵師として世界中で輝きを放っています。 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx 寛政6年5月、桐座上演の「敵対乗合話」の内の敵役の志賀大七を描いた作品です。 この絵は色彩でも構図でも実に単純な絵ですが、それだけに印象的で感銘に 力強いものが感じられます。焦点はその顔。 長い顔に高い鼻、しゃくられた長い顎、紅の眼隅に彩られた、ぐっと睨みを きかせたくぼんだ眼の光、三世高麗蔵の特異な顔が目前に迫ってくる思いがします。 さらに効果をだしているのが内懐から出して、刀の柄頭を握ったポーズ。 黒の着付けがさらにこの絵に雰囲気を盛り上げています。 そしてこの単純な色彩に、着物の裏の濃い茶色とほんのわずかにのぞいた 襦袢の赤が加わることで、高麗蔵という役者のもつ色気を表現しています。 そこに写楽の役者描写の極致があるのです。 三代目市川高麗蔵は、四代目の実子で安永元年九歳のとき高麗蔵という名になりました。 天明三年に立役に、寛政十年に実悪となり、享和元年に五世幸四郎を襲名しました。 眼はくぼみ、瞳は小さく凄みがあり、鼻の高いのが特徴で俗に「鼻高幸四郎」と 呼ばれました。 若い時はやつし方でしたが、実悪に転じてからは名声を高めました。 芸風は繊巧で豪放、しかも写実的。 一世の名優として天保九年五月、七十五歳で没しました。
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堀内掬夫(ほりうちきくお) 「作品Ma-06」 シルクスクリーン 額縁外寸 41.5x53.0x2.2㎝ 内寸 39.4x50.9㎝ (大衣) 絵 21.5x32.0cm [m-665]
¥15,400
堀内掬夫(ほりうちきくお) 「作品Ma-06」 シルクスクリーン 額縁外寸 41.5x53.0x2.2㎝ 内寸 39.4x50.9㎝ (大衣) 絵 21.5x32.0cm [m-665] ¥22000 堀内掬夫(ほりうちきくお) 1963年 札幌静修中学校を振り出しに静修高校、札幌国際大学に勤務、同大学短期大学部副部長を最後に09年3月末退職、現在北海道文教大学教授。 今月5月には札幌芸術賞受賞祝賀会が開かれた道展で1966年札幌市教育長賞、翌年STV賞を受賞、96年から08年まで12年間道展の事務局長を務めた。 これまでにTHE VISUAL TIME展、北海道現代美術展、札幌美術展、10人空間展など多数に出品。 道展会員、札幌国際大学短大部名誉教授 1940年札幌市生まれ 札幌東区在住 (北海道近代美術館、札幌芸術の森美術館、札幌国際大学、北海学園大学に作品を収蔵) 現在画家 北海道美術協会(道展)会員 北海道幼稚園養成協議会顧問 札幌国際大学短期大学部名誉教授
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織田広喜「PARIS」 リトグラフ 119/150 額縁外寸41.5x53.0x2.2㎝ 内寸サイズ39.5x51.0㎝ 絵24.5x33.0㎝ [m-623]
¥39,000
織田広喜「PARIS」 リトグラフ 119/150 額縁外寸41.5x53.0x2.2㎝ 内寸サイズ39.5x51.0㎝ 絵24.5x33.0㎝ [m-623] ¥55000 織田広喜(おだひろき)略歴 1914年~2012年 福岡生まれ 1939年 日本美術学校西洋画科卒業 1940年 第27回ニ科美術展に「未完成(室内)」が初入選 1946年 第31回ニ科美術展で「黒装束」がニ科賞受賞 1950年 ニ科会会員に推挙さる 1967年 第6回国際形象展の招待出品で愛知県美術館賞を受賞 1968年 第53回二科展で内閣総理大臣賞を受賞 1971年 第56回二科展で青児賞受賞 1980年 二科展常務理事となる 1992年 勲四等瑞宝章を受章 1994年 ミュゼ・オダ開館 1995年 恩賜賞・第51回芸術院賞受賞 芸術院会員に就任 1996年 碓井町立織田廣喜美術館開館 2006年 二科会理事長就任 2012年 死去 フランス芸術文化勲章など数々の名誉ある勲章や賞を受賞し、二科会理事長も務めあげた 故・織田広喜画伯の版画作品をご紹介します。 画伯の精錬されたセンスが窺える作品です。 カルチェラタンとも呼ばれるパリ5区には、パリ大学が、あり、学生で賑わうカフェが立ち並んでいます。 この地区は、有名なシェイクスピアアンドカンパニー書店など、書店が多いことでも知られています。 植物園のジャルダンデプラントや国立自然史博物館など、家族向きの施設もあります。 莊厳な建物のパンテオンには、ヴォルテールやマリキュリーなどの偉人が埋葬されています。
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ヒロ・ヤマガタ「晩秋」 額装品 シルクスクリーン 額縁外寸90.8x90.8x2.0㎝ 内寸80.0x80.0㎝ 絵58.0x58.0 [m-605」
¥53,800
ヒロ・ヤマガタ「晩秋」 額装品 シルクスクリーン 額縁外寸90.8x90.8x2.0㎝ 内寸80.0x80.0㎝ 絵58.0x58.0 [m-605」 ¥104500 ヒロ・ヤマガタ 1972年パリ国立美術学校の奨学生としてパリに留学 1978年ロサンゼルスに移住 最初の個展で大成功をおさめ一夜にして不動の評価を得る 1983「人類飛行200周年記念」ポスターに「エアーショウ」が選ばれる 1984年ロス市観光誘致キャンペーン 公式ポスター制作 ロードアイランド州で9月21日を「ヒロ・ヤマガタの日」に定め、同州ワーウィック市より名誉市民の称号を受ける
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藤井勉「秋日(髪)」額装品 リトグラフ 25/115 額縁外寸65.0x84.0x3.5㎝ 内寸58.0x77.0㎝ MO半切 絵 43.0x62.0㎝ [m-608]
¥29,000
藤井勉「秋日(髪)」額装品 リトグラフ 25/115 額縁外寸65.0x84.0x3.5㎝ 内寸58.0x77.0㎝ MO半切 絵 43.0x62.0㎝ [m-608] ¥44000 藤井勉 1948 秋田に生まれる 1971 岩手大学教育学部特設美術科卒業 1976 第20回シェル美術賞展佳作賞受賞 1977 第12回昭和会展優秀賞受賞 1978 具象現代展招待出品、安井賞展入選 日本秀作美術展出品(以後2回) 1980 第23回安井賞受賞 1981 「藤井勉画集」講談社刊行。東京セントラル絵画館、日動画廊で個展を開く。 1983 安井賞展佳作賞受賞、FIACにて個展(パリ)同84年。 1984 FIACにて個展(パリ) 「白い山脈 藤井勉 文集」求龍堂刊行 小泉智英と二人展を開く 1986 画文集「たなこころ」画・藤井勉、分・藤井智恵子 求龍堂刊行 1989 上村淳之と二人展 1990 盛岡、京都巡回 1991 「藤井勉リトグラフ手彩30葉」制作 1994 藤井勉作品展(読売新聞社主催) 1995 森田りえ子と二人展 1997 個展(八戸、秋田) 1998 新作展(秋田県仙南村主催) 2000 二人展(サトエ21世紀記念美術館) 2001 日本の美・山展(JR東日本主催) 2003 個展(日本橋三越本店) 2004 個展(仙台三越) 2004 スペースギャラリー個展 2005 三越個展 「藤井勉画集魅惑の大地」(金の星社)刊行 その他、日本秀作美術展、具象現代展、明日への具象展、具象ビエンナーレ展、 五都展などに出品 油絵、水彩、版画などさまざまなジャンルの作品を描き続け、特に自らの3人の娘を モデルにした絵は、精緻な描写で静かに詩的感性漂う作風で知られる。
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本間武男「ラベンダーの里」 シルクスクリーン 16/350 額縁外寸57.8x45.8x2.2㎝ 内寸サイズ54.6x42.5㎝ 絵38.5x26.5㎝ [m-628]
¥18,800
本間武男「ラベンダーの里」 シルクスクリーン 16/350 額縁外寸57.8x45.8x2.2㎝ 内寸サイズ54.6x42.5㎝ 絵38.5x26.5㎝ [m-628] ¥24200 本間武男(1929~2006) 1929年北海道余市町に生まれる 日本水彩画会宮崎信吉先生に師事 広告会社イラストレーター ・日宣美・日本デザイン協会大会後 北海道放浪 東京銀座・日本橋・横浜各地で個展開催 雪の北海道をテーマに全国各地で版画展開催 1981年 紫綬褒章を受章 1982年 新宿センタービル51階朝日生命ギャラリー・池袋西武・ 銀座松坂屋・札幌三越にてパステル画展開催 1985年 郵政省お年玉付き年賀はがき原画制作 北海道の四季絵入りはがき原画制作 1987年 郵政省お年玉付き年賀はがき原画制作 1993年 スペイン王立美術館から感謝状を贈呈される 1994年 郵政省50円切手「エゾシカ」原画制作 1998年 郵政省80円切手「ナナカマド」「シバザクラ」原画制作 ラベンダーは、「ハーブの女王」と呼ばれています。 爽やかで上品な香りがするだけでなく、その香りは心や体をリラックスさせるものとして愛されてきました。 ラベンダーは虫よけや疫病よけの薬として、古くから人々に癒しを与えていた植物です。
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ジェレミー・キング「Sailing At Flushing」 リトグラフ 264/350 額縁外寸53.0x41.5x2.3㎝ 内寸サイズ51.0x39.3㎝ 絵37.0x26.0㎝ [m-625]
¥26,800
ジェレミー・キング「Sailing At Flushing」 リトグラフ 264/350 額縁外寸53.0x41.5x2.3㎝ 内寸サイズ51.0x39.3㎝ 絵37.0x26.0㎝ [m-625] ¥35200 ジェレミー・キングJeremy King 1933年 イギリス・ノーサンプトンシャー生まれ ランカスター・アート、ハンディクラフト・カレッジで絵を学び、 ロンドン・ユニバーシティー・インスティテュートで兵役を終えた 後、1958年から1967年まで、Burnhamの中学校で美術と陶器製造 を教える 1967年 絵やリトグラフを制作する事に、全面的に専念するために教師の 職を離れる スペイン、パリそしてロンドンの工房で多くのリトグラフを制作 している 1976年 イギリス・コーンウォール4州に定住し、今でもそこで画家である 妻のブレンダと3人の子供たちと一緒に暮らしている イギリスの風景画家として有名な彼の作品はその暖かな色彩と、ディテールにおける精密さによって無比の魅力を与えている。 多くの人々に、生まれながら画家であると賞賛されているが、彼の明らかな才能の陰には几帳面な仕事ぶりが伺われる。 彼は、リトグラフというものの規則性をエディションの概念から完全にコントロールしている。 今日、彼のリトグラフ作品はイギリス、フランス、アメリカそして日本など多くの国々で評価を得ている。
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山岡康子「Romance」額装品 銅版画 63/200 額縁外寸16.5x16.5x2.2㎝ 内寸15.0x15.0㎝ 絵 4.8x4.8㎝ [m-620]
¥5,980
山岡康子「Romance」額装品 銅版画 63/200 額縁外寸16.5x16.5x2.2㎝ 内寸15.0x15.0㎝ 絵 4.8x4.8㎝ [m-620] ¥7700 山岡康子 京都府出身 京都芸術大学美術学部卒業 1969年より モダンアート展 入選 5回 1994年 初個展 ギャラリーハウスMAYA 1996年より、ギャラリー・カブリス、ボザールミュー、北鎌倉ギャラリーネスト、 世界観ギャラリー、柏木画廊等で個展多数 1999年 ポーランドミニアチュール版画展入選 2000年より銅版画に加えて油絵も出品 2003年 札幌三越個展 2004年より神戸大丸、大阪梅田大丸、京都大丸、阿倍野近鉄で 油絵のみの個展開催 東京都在住
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山岡康子「Telephone」額装品 銅版画 67/200 額縁外寸16.5x16.5x2.2㎝ 内寸15.0x15.0㎝ 絵 4.8x4.8㎝ [m-619]
¥5,980
山岡康子「Telephone」額装品 銅版画 67/200 額縁外寸16.5x16.5x2.2㎝ 内寸15.0x15.0㎝ 絵 4.8x4.8㎝ [m-619] ¥7700 山岡康子 京都府出身 京都芸術大学美術学部卒業 1969年より モダンアート展 入選 5回 1994年 初個展 ギャラリーハウスMAYA 1996年より、ギャラリー・カブリス、ボザールミュー、北鎌倉ギャラリーネスト、 世界観ギャラリー、柏木画廊等で個展多数 1999年 ポーランドミニアチュール版画展入選 2000年より銅版画に加えて油絵も出品 2003年 札幌三越個展 2004年より神戸大丸、大阪梅田大丸、京都大丸、阿倍野近鉄で 油絵のみの個展開催 東京都在住
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山岡康子「DICE」額装品 銅版画 139/200 額縁外寸17.3x17.3x2.5㎝ 内寸15.0x15.0㎝ 絵 4.8x4.8㎝ [m-618]
¥5,980
山岡康子「DICE」額装品 銅版画 139/200 額縁外寸17.3x17.3x2.5㎝ 内寸15.0x15.0㎝ 絵 4.8x4.8㎝ [m-618] ¥7700 山岡康子 京都府出身 京都芸術大学美術学部卒業 1969年より モダンアート展 入選 5回 1994年 初個展 ギャラリーハウスMAYA 1996年より、ギャラリー・カブリス、ボザールミュー、北鎌倉ギャラリーネスト、 世界観ギャラリー、柏木画廊等で個展多数 1999年 ポーランドミニアチュール版画展入選 2000年より銅版画に加えて油絵も出品 2003年 札幌三越個展 2004年より神戸大丸、大阪梅田大丸、京都大丸、阿倍野近鉄で 油絵のみの個展開催 東京都在住
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イーダ・ヴァリッキオ「ホワイトベンチメモリー」版画 192/250 額縁外寸43.2x54.7x2.0㎝ 内寸39.3x51.0㎝大衣サイズ 絵25.0x34.0㎝[k-091]
¥22,000
イーダ・ヴァリッキオ「ホワイトベンチメモリー」版画 192/250 額縁外寸43.2x54.7x2.0㎝ 内寸39.3x51.0㎝大衣サイズ 絵25.0x34.0㎝ [k-091] ¥36300 イーダ・ヴァリッキオは、 1923年トルコ・イズミールに生まれる。 1942年オスカー・サコロティ氏に師事し、絵画を学ぶ。 1947年トリノ(イタリア)で初の個展を開催する。 1967年アメリカ・サンフランシスコに移住する。 1970年イタリア美術界のフーズフー(Who's Who)に掲載される。サンフランシスコ・ホールオブフラワーに絵画を出展する。 1972年サンタローザにイーダスギャラリーをオープンする。 1979年イタリアンブレス誌にアメリカで最も成功したイタリア人画家として紹介される。 1991年ロサンゼルス・アートエキスポに出展する。 1992年アメリカ合衆国ワシントンDC200年祭芸術展に招待作家となる。 1996年ユニセフ(国際連合児童基金)がポストカードにイーダ・ヴァリッキオの絵を採用する。 1997年パレ・デ・コングレ(パリ)にて個展を開催する。 1998年ユニセフ(国際連合児童基金)が花の絵をポストカードに採用する。 2000年生誕77周年記念絵画展を東京など77カ所で開催する。 2003年80歳の記念版画を発表、記念絵画展や回顧展を開催する。 ユニセフ(国際連合児童基金)がグリーティングカードにイーダ・ヴァリッキオの絵を採用する。 1992年TIAS(東京インターナショナル・アート・ショウ)に絵画作品を出品する。来日展20周年記念イベントの絵画や版画の展覧会を開催する。 2009年来日20周年記念特別記念の版画を発表する。日本では、伊勢丹・三越・大丸・高島屋ほか全国の有名百貨店で絵画や版画の展覧会を開催する。 2004年4月7日発売の SASUKEとサスケの曲「青いベンチ」 歌詞は、 君は来るだろうか 明日のクラス会に 半分に折り曲げた「案内」をもう一度見る つきあってた頃 僕ら手をつなぎながら 歩いた並木道 たくさんの人がゆくよ ああ いつも僕が待たせた 易で待つはず無い君を探すけど この声がかれるくらいに 君に好きと言えばよかった 会いたくて仕方なかった どこにいても何をしてても 夕方の雲が ホームの空を抜ける この街で僕は 夢を見て旅している ああ 青いベンチ腰かけ 君が手をふった あの日思い出すよ この声が枯れるくらいに 君に好きと言えばよかった もう二度と戻らない恋 痛みだけがちょっと動いた ああ季節は思ったよりも進んでて 思いを搔き消してく 気づかない程遠く この声が枯れるくらいに 君に好きと言えばよかった 会いたくて仕方なかった どこにいても何をしてても この声が枯れるくらいに 君に好きと言えばよかった もう二度と戻らない恋 痛みだけがちょっと動いた https://www.youtube.com/watch?v=BkOVkthMkOc
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クロード・マルス Claude Mars「 ロータスとシクラメン(クレマンティーヌ)」リトグラフ 211/250 額縁外寸85.0x65.0x3.3㎝ 内寸80.0x60.0㎝ 絵59.5x39.5㎝[k-316]
¥39,800
クロード・マルス Claude Mars 「 ロータスとシクラメン(クレマンティーヌ)」リトグラフ 211/250 額縁外寸85.0x65.0x3.3㎝ 内寸80.0x60.0㎝ 絵59.5x39.5㎝ [k-316] ¥60500 クロード・マルス(CLAUDE MARS)は、 1942年北フランスのピカルディに生まれる。 パリの美術学校を卒業後、モンパルナスにて描き始める。 最初の個展は、パリのグラン・ショウミエ画廊にて行う。 彼女は、アジアに興味を持ち、インドの芸術村に住み、バティックを学び、ヨガを行う。 彼女は、庭の花に興味を持ち、作品は、ほとんど花を描くことが多い。
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志摩欣哉 「朱不二と六地蔵」 シルクスクリーン 額縁外寸 40.0x47.5x2.0㎝ 内寸 34.8x42.4㎝ 絵 18.5x25.5cm [m-664]
¥22,000
志摩欣哉 「朱不二と六地蔵」 シルクスクリーン 額縁外寸 40.0x47.5x2.0㎝ 内寸 34.8x42.4㎝ (四ツ) 絵 18.5x25.5cm [m-664] ¥33000 志摩欣哉(しま・きんや) 1943年、大阪府出身 1992年 京都「三越祇園ギャラリー」にて個展 1995年 高槻市「小寺池図書館」にて「賢治の世界」で個展 1997年 京都「画廊とーべえ」にて「恋文」原案墨彩画展 1998年 大阪市「大丸心斎橋店」にて「賢治も地蔵も大地の唄」展
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池上壮豊(いけがみそうほう) 「赤富士錦」 シルクスクリーン 額縁外寸 74.5x56.0x2.5㎝ 内寸 72.7x54.5㎝ 絵 53.0x38.5cm [m-663]
¥29,800
池上壮豊(いけがみそうほう) 「赤富士錦」 シルクスクリーン 額縁外寸 74.5x56.0x2.5㎝ 内寸 72.7x54.5㎝ (全紙) 絵 53.0x38.5cm [m-663] ¥44000 池上壮豊 1940年 福岡県久留米市に生まれる 1959年 武蔵野美術大学卒 1965年 広告・出版等、イラストレーターとして独立 1981年~84年 日本版画協会展 1982年 期待の新人作家賞展 1985年 フィナール国際美術展 1987年 AJACスペイン展・東京展 1990年~朝日・毎日・各新聞社主催福祉基金賛助出品 1993年 潮文社「山頭火句集」表紙 以降、近代日本美術協会展(東京・ベルギー・モナコ)・CWAJ現代版画展に出展 受賞:自自大臣賞・国務大臣賞・仏大使館賞・美術家名鑑賞・国際芸術新聞社賞ほか
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吉岡浩太郎「昇竜赤富士」版画(ジクレー+シルクスクリーン 168/500) 額縁外寸45.0x56.0㎝ 大衣サイズマット付39.4x50.9㎝ [k-153]
¥11,800
【吉岡浩太郎】「昇竜赤富士」版画(ジクレー+シルクスクリーン 168/500) 額縁外寸45.0x56.0㎝ 大衣サイズマット付39.4x50.9㎝ [k-153] ¥19800 1928年山口県に生まれる 香月泰男に師事 1973年絵画研修の為渡欧 1974年 セントラル画廊で、スクリーン版画個展 1997年以後毎年ピクチャーショーで新作発表 各種カレンダー雑誌表紙の掲載 2008年西京銀行カレンダー採用 風水版画展開催 2011年個展、グループ展開催 2013年横濱グッズ001 横浜市長賞受賞 2014年日本ユネスコ協会支援カードに採用
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関根將雄(せきねまさお)「紅富士(あかふじ)」リトグラフ 71/150 外寸74.5x63.5x 厚み5.0cm 絵52.5x40.5cm [m-660]
¥110,000
関根將雄(せきねまさお)「紅富士(あかふじ)」 リトグラフ 71/150 外寸74.5x63.5x 厚み5.0cm 絵52.5x40.5cm [m-660] ¥220000 シミあり 関根將雄 画歴 1919年 埼玉県に生まれる 1937年 東京美術学校(現東京芸大)に入学する 1942年 東京美術学校(現東京芸大)日本画科研究科に入学する 1943年 同科在学中に応召、衛生兵として従軍する 1946年 2月に復員する 第1回日展に日本画の絵画「さとの秋」が初入選する 日本画 の大家・伊東深水に師事する 1955年 第11回日展で日本画の絵画「双楽」が特選と白寿賞を受賞する 1966年 改組後の第9回日展で日本画の絵画により特選と白寿賞を受賞する 1972年 師である伊東深水の死を機に、日展委嘱を辞し無所属となる 1978年 埼玉文化賞を受賞する 1981年 埼玉県教育功労表彰を受賞する 1983年 埼玉県文化賞を受賞する 1986年 紺綬褒章を受章する 1987年 文化大臣地域文化功労章を受章する 1990年 勲5等瑞宝章を受章する 1991年 埼玉県文化団体連合会会長に就任する 2004年 宮内庁の要請で、まごころ国体開催に伴う行幸啓のお泊り所 (東松山市内ホテルヘリテイジ)に日本画の絵画3点を寄贈する 2013年 逝去 著書にエッセイ集「わが心の武蔵野」、「日本画入門」、画文集「ディスカバーさいたま」、「ヨーロッパスケッチ集」、随想集「ピラテウスの月」など多数。 オリジナルリトグラフとしては「四季を謳う」(4枚組)がある。 「赤富士」は、夏の朝、山の地肌が日光で暗褐色に色づいた状態とされていて、葛飾北斎の浮世絵版画「富嶽三十六景」の中でも、赤富士を描いた「凱風快晴」は傑作として広く知られている。 一方で、「紅富士」は真冬の朝夕、雪が積もった白い斜面が光で照らされ、鮮やかな紅色に染まった状態のことをさすという。 美しい赤富士、紅富士はいずれも空気が澄んでいるときに見られるようだ。
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ジョン・ボッチ John Botz「カシス Cassis」 版画 99/300 サイズ 額縁外寸62.5x55.5x2.0㎝ 内寸54.5x47.5㎝ 絵41.0x33.0㎝[k-119]
¥39,800
ジョン・ボッチ John Botz「カシス Cassis」 版画 99/300 サイズ 額縁外寸62.5x55.5x2.0㎝ 内寸54.5x47.5㎝ 絵41.0x33.0㎝ [k-119] ¥63800 ジョン・ボッチ は、1925年 アメリカニュージャージー州に生まれ、ニューヨーク州ロングアイランドで育つ。 特に高校時代の美術の先生に強い影響を受ける。 1948年 駐英アメリカ大使館の参事、アイマグニン社のスポーツウエアのバイヤーとして活躍の傍ら、絵画の勉強を続ける。 1978年 南カリフォルニア・ラグナピーチに JOHN BOTZ GALLERYをオープン。 1987年 日本に初めて紹介される。同時に世界のアートショーに出品される。 xxxxxxxxxxxxxxx カシスとは? 飲みやすくて女性にも人気のお酒として「カシスソーダ」や「カシスオレンジ」がありますよね。美味しいけど、このカシスとはそもそも何者なのか知っていますか? カシスとは、ストロベリーやブルーベリー等のベリーの一類の一つで、直径1センチの艶やかな赤黒い実をしています。 カシスという呼び名はフランス語であり、和名は実は「クロスグリ」、英語では「ブラックカラント」と呼びます。 日本では、お酒に使われているイメージが強いと思います。ですが、他にも用途は色々あります。 ブルーベリーと同じように、ジャムやフルーツソースにしたり、乾燥させてクッキーに加えたりと、実は多彩な用途があります。